ばななぼーと

レンタル&中古VHSとネットラジオを愛するゆとり社会人のブログ

仙台と万能感

 2008年、高校3年生の夏休みに仙台の予備校に夏期講習を受けるために1週間ほど仙台に滞在したことがありました。秋田の実家の最寄りの道の駅から高速バスに乗って仙台駅前に行き、1泊2000円の激安宿に連泊して予備校に通っていました。

 

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 おそらく、都会に住んでいる人にこの感覚はなかなかわからないかもしれませんが、僕の実家の近辺は塾どころか田んぼ以外の何かが存在しているだけで奇跡と言えるような田舎だったので、長期休暇を活かして仙台の予備校に行くことは特段珍しいことではなく、同級生にも何人もそういう人がいました。


 しかし、当時ボンクラ学生だった僕は、予備校に勉強をしに行くというよりも、田舎を離れ、都会で自由気ままに暮らすことが出来ることに夢見ていたのだと思います。講習日の前日に仙台に着くと、僕はその足で仙台駅から仙石線に乗り、石巻にある石ノ森章太郎萬画館を訪れ、早速遊び惚けていました。


 そして翌日、仙台駅を西口から東口へ通り抜け予備校へ。何故か毎日朝早く出過ぎて、駅構内のお土産コーナーで笹かまやずんだを試食して時間をつぶしていました。講習が始まると9:00から17:00まではキチンと受け、空き時間は予備校で自習していました。やるべきことはしっかりとこなしつつも、17:00になるとキッパリと勉強をやめ、街へと繰り出す日々を過ごしていました。

 

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 生まれて初めて見る「LOFT」にテンションあがる田舎者。訳も無く、色んな種類のヘアワックスが売っていることに興奮した記憶があります。あと、地元では気軽に行くことが出来ない楽器屋やレコード屋を冷かしたりしていました。「メロンブックス」や「とらのあな」といったオタクショップも初めて訪れたのもこの時だったと思います。

 

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 そして、極めつけはそれまで体験したことが無かった「駅ビル」という概念。しかも「エスパル」と「パルコ」と百貨店が2つも。しかし、モノは溢れるほどあるというのに、おしゃれすぎて何を買っていいかわからなすぎる田舎者ゆえの悲しさ。あまりにも住む世界が違うなぁと思いながら束の間の仙台での日々を過ごしました。


 そんなわけで、田舎に住んでいた頃の自分にとって仙台の街は最も近い「都会」だったわけでした。今となってはもう、東京どころか、大阪、京都、神戸、岡山、広島、松山など、日本各地の都会も見てきているので、仙台に対して特別「都会だなぁ」と思うことも無くなりました。

 
 しかし、今日、帰省の道中で久しぶりに仙台に立ち寄ってみて、自分の暮らしている周りのこと以外何にも知らなかったあの頃の自分が少しだけ懐かしく思い返されました。

 

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 高校生の頃に滞在した時には工事していた仙台駅の東口もきれいに整っており、通っていた予備校も閉講して居抜きで大学のキャンパスになっているなど、時代の流れの中で街並みは変わっていましたが、若いころに感じた仙台の街の中なら何でもできてしまうような懐かしい万能感が思い起こされました。

 

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 そんな2020年の年明けでした。皆様、今年もよろしくお願いします。

アラサーゆとり男性『男はつらいよ』の新作を見る。

 『男はつらいよ』の最新作が今日、ようやく公開されたのですが、実は試写会があたっていたので、一足先に見に行くことが出来ました。

 

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 1990年生まれの僕にとって『男はつらいよ』というと、リアルタイムで劇場では見ていないのですが、渥美清の訃報を幼心に憶えていて、その時にやっていた再放送を見ていたと記憶しています。

 

 そんなわけで、俄かファンではあるものの、おそらく同世代の人よりは見ているという微妙なスタンスですが、せっかく当たったのだから見に行こうと思い、福山の複合娯楽施設「コロナワールド」へ向かいました。

 

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 入場すると、すでに多くのお客さんが待機していましたが、座席を見渡すと圧倒的な数の高齢者率!?60代どころか、70~80代と思われる老人で劇場は埋め尽くされており、29歳の僕は最年少なんじゃないかという感じでした。

 

 しかも飲酒率が高い!完全に持ち込みと思われる缶ビール&チューハイを片手にしており、もう完全にデキ上がっているジジババたちで盛り上がっていました。『男はつらいよ』を劇場で観るというのはこういうことなのか…と洗礼を受けながら、さっそく映画が始まりました。

 

 とりあえずどんな映画なのかについては公式HPのあらすじをご参照ください。

 

www.cinemaclassics.jp

 

 寅さんの甥の満男が今作の主人公で、端的に言うならば『満男はつらいよ』といった感じで、基本的な物語の構造を引き継ぎながらちょいちょい回想シーンを挟み、寅さんの生きざまを思い出すという感じの映画です。

 

 回想シーンはけっこうな頻度であるのですが、最初の回想の時点で僕の前に座っていた老人が既にかなりデキ上がっており、スクリーンに向かって泣きながら熱く語りだしました。まぁ、思い入れの強い作品なのでそういうこともあるだろうと思っていたのですが、それにしてもそのサイクルがすごい。

 

 回想の度にジイさんの中のスイッチがオン、しかもそれがドンドン強くなり、「あぁあぁぁぁああああああリリーさん!!」と絶叫&号泣していました。しかも、それでいて飲酒しているのでトイレの頻度が近く、絶叫!号泣!放尿!を繰り返しながら、しまいには潰れて寝ていました。なんというフリーダム。

 

 しかし、そこでいちいち注意する人もいなかったのは、寅さんの人柄をスクリーンで観ていることと、今回の映画のテーマが「老人」であったり、「迷惑」であったり、「赦し」であったからだと思います。

 

 劇場でしか味わうことが出来ない4DXさながらの謎の熱狂を体感出来て、色んな意味で貴重な体験でした。今、この時代に『男はつらいよ』の新作を見るのであれば、皆さんもぜひ、劇場で観てください。それも、できるだけ混んでそうな回で!

 

 なんか微妙な書き方になりましたが、良くも悪くも語りがいのある映画なので間違いなく見て損はしないはずです!

ドン底大学院生時代と尾道

 2013年、学科の教授陣のお情けで母校の大学院に入れて貰った僕は、案の定ついていけず、完全にメンタルをぶっ壊していました。

 

 そもそも、文系の大学院というのはメンタルをぶっ壊してる人だらけです。文献を前にして、ああでもないこうでもないと日がな一日やってるだけに、その成果を見てもらう指導教授とうまく関係を築けないと、自分が今何をしているか見失いがちになります。

 

 僕は大学四年生の頃に就職活動をしたり、教育実習へ行ったりするうちに、自分がこのまま社会に出ることに悔いがある気がして、大学院に進学しました。しかし、前述のとおり、たいした実力も、研究に人生を捧げる熱意もないまま、お情けで入れてもらったようなものなので挫けるのは当然のことでしたが、それ以上に多忙な指導教授とうまく関係を築けなかったことが一番の行き詰まりの原因でした。

 

 そんなわけで、M1の終わりの頃になっても修士論文の骨子はグラグラでした。これはもう中退した方がよっぽどマシだなと思い、そのために再び就職活動をしてみたりもしてみましたが、それすらもうまくいかず、宙ぶらりんで親に迷惑だけをかける存在として社会にいることがとても苦しかったです。

 

 更に、そこまで見てもらっていた教授が研究休暇に入るため、他の教授に指導を引き継いでもらわなければならないという問題も抱えていました。M2が始まる2014年、どうしようも無くなっていた僕は、研究休暇に入る教授と入れ替わりで戻ってきた教授に全てをさらけ出し、「正直、もう、何をしたらいいかわからなくなってます。」と泣きつきました。

 

 我ながらどうしようもない学生だったなと思いますが、しかし、その先生は僕のことを見捨てず、真摯に向き合ってくださりました。研究の方法と計画を見直し、これから読むべき文献、それに対するアプローチと整理の方法、そして何より、文献だけでは見えてこない部分を補うフィールドワークを提案してくれました。

 

 それからというもの、相変わらず綱渡りではあるものの、前には進んでるのが実感できるようになり、少しずつ修士論文が形になりそうな未来が見えてきました。奇跡的に修了後に研究とは直接の関係は無いものの、それなりに自分の関心に近い仕事につけることも決まり、研究に打ち込めるようなったので、その仕上げとして夏休みに前述したフィールドワークに出かけました。

 

 行き先は関西・中国地方で3泊4日の行程。夜行バスに揺られ、青春18切符を駆使し、一泊2000円代のゲストハウスに泊まる貧乏旅行でしたが、思っていた以上に成果があり、これが決め手となって修了の目処が立ちました。

 

 京都に泊まった時の宿は「古民家」を自称するほぼ廃屋でしたが、その日泊まるのはイギリス人カップル2組と中国人女性、僕、そして会社員の男性でした。日本人の方が圧倒的に少なかったので、なんとなく、その会社員に話しかけてみると、なんと日本を代表する大企業の研究者で、京大で行われる原発に関する会議に出席するために来て、なんとなくおもしろそうだったからゲストハウスに泊まってみたとのことでした。外国語もペラペラで、その会社員を通じて前述したイギリス人カップルや中国人女性と談笑したりして楽しかったです。

 

 関西で2泊し、その翌日に青春18切符で向かった先は、まさかの今住んでいる広島県福山市でした。とはいっても、福山駅ではなくさらにその北部の駅で降りての調査でした。一仕事終え、その日は福山の隣の尾道に泊まりました。最終日は予備日にしていたのですが、滞りなく進んだので、少しは気晴らしで観光して帰ろうと思っての尾道でした。

 

 尾道駅を降りたその瞬間、僕はその景色に心を奪われました。東北の山育ちということもあり、港町というものが新鮮だったこともありますが、迷子になるのが楽しくなるような不思議な小道があったり、船が島々を行き交う光景が素敵でした。

 

 宿は相変わらず2000円代の激安宿でした。しかも、個人経営のようでたまたま訪ねた時間に不在にしていたので、大したものも入ってないので、スーツケースだけでもと思い、書きおきと共に預けて外に出ました。駅前でレンタサイクルを借り、炎天下の中、特に行先も決めずあちこちを巡りました。

 

 観光ガイドも一切読んでいなかったので、港をぼんやり眺めたり、坂道を登ったりしていましたが、それはそれで楽しかったです。

 

 印象的だったのは、それまでの人生で見たことがない虫が飛んでいたことでした。今となっては姿形は思い出せないのですが、その虫を眺めながらふと、「あぁ、いろいろしんどかったけど、なんとか立ち直れたかもしれないな」と思ったことは今でも憶えています。

 

 その後、修士論文は無事に提出することができ、仕事も始めて今日に至るわけですが、あの時に不思議な縁があった京都と福山にまさかその後の人生で住むことになるとは思いませんでした。

 

 尾道は自分にとって特別な場所だったのですが、今年は福山に引っ越したこともあり、気がつくと7回も行っていました。あの夏とは違い、心に余裕があるだけに見え方も変わりましたが、相変わらず素敵な場所です。

 

 ふと、あの頃の夢を見て早起きしたので書いてみましたがなんだかえらい長文になりました。

 

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【おまけ】

僕が昔から好きな堀江由衣さんの今年出たアルバム『文学少女の歌集』も夏の尾道をモチーフにしていてとても良かったです。各種サブスクで聴けるので是非おすすめです。

2019年マイベスト。

https://youtu.be/K1Ty9O2Cdsw

 

文学少女の歌集【初回限定盤】

文学少女の歌集【初回限定盤】

最終日の宇高連絡船と久々の高松めぐり

 冬の18きっぷシーズンが始まったので、久しぶりに香川に行こうかなと考えていると、岡山と香川をつなぐフェリー航路「宇高連絡船」が2019年12月15日を以て運行終了とのニュースが入ってきました。

www.sanyonews.jp

 

 せっかくなので最後に高松から宇野までのフェリーに乗ってみようと思い立ち、12月15日に狙いを定めていくことにしました。


 福山から高松までは普通列車で乗換1回・合計およそ2時間。これぐらいの距離は帰省の度に秋田県の僻地に帰っている僕のような長距離移動の達人にとってはもはや余裕の域です。

 

 瀬戸大橋線の素晴らしい景色を眺めつつ、昼飯はどうしようかなと考えたりしていました。このブログでも以前紹介した宮脇書店総本店に久しぶりに行こうと思っていたので、近くの「たも屋」でうどんでも食べようかな~と思い付き、ツイート。

 


 その数分後にそれを見たヨメさんからLINEが。

 

「たも屋、2日前に火事になってたよ。」

 

!?!?!?!?

 

 調べてみると、本当に火事になっていたようでビックリしました。

 

www.ksb.co.jp

 

 呆気に取られているうちに電車は高松駅に着いてしまい、「さて、どうしたものか…」となりました。とりあえずレンタサイクルは借りようと思っていたので駅前の市営駐輪場に行き、1日100円でレンタルしました。(めちゃくちゃ安い)

 


 とりあえず、おなかはすいたので腹ごしらえ。ここはあえてうどん県に来ておきながらラーメンを食べるというぜいたくをしてやろうと思い、高松三越裏の「木蘭(ムーラン)」へ行きました。訪れるのは2回目でしたが、店構えも味もやはり良かったです。

 

 

 食後にのんびりと自転車を漕ぎながら朝日町の港の方へ。

 

 

 やはりたも屋は焼けていました。再開を祈るばかりです。

 

 そんなわけで久々に宮脇書店総本店へ。3階のアウトレット本コーナーはやはりイイ。買った本についてはツイートを参照。

 


 宮脇書店総本店を後にすると、今度は高松刑務所近くの古書店「讃州堂書店」へ。

 

 

 以前は近くに住んでいたのですが、実は初めてやってきました。自分が古本屋さんに求めている要素を全て押さえてくれている理想的なお店だったので、もっと早くに来ていればよかったなぁと思いました。UFO目撃談を求める店主さんとレジ横で眠る黒猫もよし。

 

 

 伝説のタウン誌『タウン情報かがわ』の1980年代のバックナンバーを3冊購入。今年の瀬戸内国際芸術祭の時にDOMMUNE SETOUCHIで香川のライブシーンを振り返る回があったのですが、ちょうどその時に聴いた話が詰め込まれている頃のものだったので読みごたえがありました。

 


 そんなわけで、あとはサンリンシャ、ルヌガンガ、YOMSとよく行っていたお店に立ち寄り、「あぁ、高松はやはりいいなぁ」としみじみ噛みしめてきました。そんなこんなで夕方になり、フェリー乗り場に向かいました。

 

 


 この日は高松からはあと2便あったのですが、最後の便は冷やかしで乗るにはあまりにも忍びないのでその1本前の17:00便に乗りました。しかし、想像を超える長蛇の列が出来ており、これはもしかすると乗れないってこともあるのではないかと思いましたが、とりあえず滑り込むことが出来ました。

 

 

  

 

 

 思っていたよりも、寂しいお別れという感じはなく、むしろ、これまでの感謝や思い出を語る人々で終始、暖かいムードに包まれていました。うどん屋も大繁盛で、夕日に包まれる甲板の上で、皆がうどんをすすっているのが何とも言えないエモさを醸し出していました。

 

 そんな師走の休日。 

「リトアニア」と「モー娘。」と「秋田ふるさと村」

 「リトアニア」という国があることを皆さんはご存じでしょうか。

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リトアニアの国旗

 僕はこの国の名前を初めて認識した時のことをなんとなく覚えていて、それはたしか2000年の秋頃だったんじゃないかと思います。


 当時僕は小学4年生で、秋田県のド田舎に住んでいました。グローバルとは程遠い田舎で、そもそも、外国の人を見る機会すらほとんどありませんでした。しかし、ある日の全校集会で校長先生が急に妙なことを言い出しました。

 

「今度リトアニア少年合唱団が来るので、皆さんも一緒に歌う練習をしましょう」


 リトアニア?いったいどこの国?というか何故来る?それも秋田の県庁所在地ですらない県南部の田舎に?と疑問は尽きなかったのですが、どうやら本当に来ることにはなっているようで、その日を境に全校で歌の練習が始まりました。今となっては何を歌ったのかは思い出せませんが、それなりに練習していたのはたしかだったと思います。


 そして、いよいよリトアニア少年合唱団と対面する日がやってきました。実はこの日の数日前まで、てっきり、学校の体育館とかでやると思っていたのですが、どうやら思っていたより大きな規模で物事が動いていたようで、秋田県の県南地域のたくさんの学校の生徒を呼んで、「秋田ふるさと村」というテーマパークのホールでやることになっていました。

 

 複数の学校が来ていたので、僕たちの学校の控室はテーマパークの食堂のようなところでした。控室に入ると、何故か突然、一部の生徒が何かに気づいて騒ぎ始めました。


それは当時、人気絶頂期にあった「モーニング娘。」の(誰かの)サインでした。ちょうどこの年の夏にライブで来ていたようで、ファンだった子はすごくテンションが上がっていたのですが、正直、当時の僕はいまひとつピンと来ていませんでした。

 

 というのも、以前にこのブログでも言及したことがありますが、秋田県は民放が3局しか映らず、「モー娘。」がデビューするきっかけとなった「ASAYAN」どころかテレビ東京の番組が映らなかったので、いまひとつブームにコミットできておりませんでした。もちろん、前述したように盛り上がっていた人もいたのですが、それは年上の兄弟がいて流行のレーダーが周りよりも少しマセている子だった気がします。

 

 そんなこんなで、「あ~、これが噂のモー娘。ってやつか~」とサインを眺めていると、本番の準備が始まり、控え室を後にしました。あっという間に本番が始まり、リトアニアの子供たちがメインステージに上がり、僕らはステージの下から観客のように彼らを見ながら歌いました。ステージまではけっこう遠かったので、正直、よく見えなかったのですが、金髪なのでたぶんほんとうに海外の子供たちなんだろうなと思いながら歌い、その回は幕を閉じました。

 

 あれから19年。僕は何故か今年に入って「モーニング娘。」をよく聴いていました。きっかけは2年くらい前に始まった『ラストアイドル』というアイドルオーディション番組でユニットのプロデュースバトル企画が行われていた際に聴いたつんく。の曲がなんか妙に気に入ったことがきっかけでした。 

 

www.youtube.com

 

  その時はそのユニットの曲を聴くだけにとどまっていたのですが、今年に入ってなんとなく「そういえば、モー娘。って世代だけど通ってこなかったなぁ・・・」と思い、Youtubeで初期モー娘。の曲を聴いてみると、当時は全然聴いてこなかったはずなのに、なんだか懐かしい感情がこみあげてきて気づくと何度かで聴いていました。

 

 まぁ、とはいっても今ちょっと聴いてるくらいなので全然詳しくは無いのですが、『真夏の光線』という曲が特に2000年前後の「あの頃」感を感じます。それと同時に、リトアニア少年合唱団とのセッションを控えたあの部屋にあったサインを思い出す。そんな一曲です。

 

www.youtube.com

いつかの田舎のメリークリスマス

日本を代表するロックグループ「B’z」の代表曲の一つに『いつかのメリークリスマス』という曲があります。

 

www.youtube.com

 

1992年発売の『FRIENDS』というアルバムに収録された曲で、この時期になるとよく方々で流れているのでリアルタイム世代じゃなくても聴いたことがある方は多いのではないかと思います。

 

僕も小学生の頃、友人に借りてよく聴いていたのですが、当時、とても疑問に思ったことがありました。

 

それはズバリ、歌詞です。

 

この曲はクリスマス当日の恋人たちの切ない1日の様子を綴った曲なのですが、1番の歌詞に「僕は走り 閉店間際 君の欲しがった椅子を買った 荷物抱え 電車の中 一人で幸せだった」というフレーズがあります。

 

秋田県の田舎に住んでいた少年の僕はこの短いフレーズの中にいくつも疑問を覚えていました。

 

まず、「僕は走り」という部分。クリスマスの時期、秋田では当然のごとく雪が積もっています。そんなわけで基本的に皆、車で移動しているのですが、もし走ってどこかに行こうものならかなり足がつらいことになります。

 

次に「椅子を買った」という部分。僕が住んでいた秋田の田舎で椅子を買える場所、それはすなわちイオンかホームセンターでした。どちらも郊外の国道に沿いにあり、走っていくのは間違いなくしんどいはずです。

 

更には「荷物抱え電車の中」。前述したとおり、イオンやホームセンターは郊外にあり、車でなければ行けない確率が高いです。雪も降る中、イオンに行って、駅に行ってとなると、いったい何分かかることかわからないですが、それでも一応電車には乗れているようなので頑張ったんだなと。(ちなみに僕の地元の終電は20時台です)

 

そんなわけで、まぁ、田舎に住んでいたから都会のクリスマスにピンと来ていなかったんだろうなと笑い話にしてきたのですが、よくよく考えてみると、都会で暮らしてた頃も椅子を持って電車に乗っている人というのは見たことが無いなと最近気づきました。そもそも、椅子を持って改札って通れるんでしょうかね。

 

ちなみにこれは余談ですが、僕は昔、大学進学のために上京してきた頃に「物干し竿」が無く、洗濯物を干すことが出来ずにいたことがありました。

 

田舎であればそれこそ、イオンかホームセンターで物干し竿を買うことが出来たのですが、当時、僕は西池袋にほど近い椎名町に住んでおり、イオンもホームセンターも近くにありませんでした。

 

都会ではどこで物干し竿が買えるのだろうか。少しばかり考えてみると「そういえば、池袋サンシャインシティ東急ハンズという何でも売ってそうな場所があったな」と思いつきました。

 

そんなわけで僕はあまり深く考えず自転車で池袋を西口から東口に跨ぎ、東急ハンズで物干し竿を購入しました。しかし、いざ、買ってから「これ、どうやって持って帰るんだ・・・」と冷静になった自分がいました。

 

どうやっても何も、物干し竿を持って自転車に乗るしかないわけなので、現代のチャリオットと化した僕は物干し竿を片手に池袋を駆け抜けたのですが、あの時の何とも言えない感情を思い出しながら、クリスマスに椅子を持って電車に乗る人もそんな気持ちだったのだろうかとも思ったりしました。

 

以上、本当に思いつきの日記です。

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 非常に雑ないらすとやコラ

文学フリマ東京ありがとうございました。

というわけで、文学フリマ東京に

お越しいただいた皆様ありがとうございました。

 

おかげさまで多くの方に

VHSのある風景を追いかけるZINE

『ばななぼーと』を手に取っていただきました。

心より御礼申し上げます。

 

ブログの方はここ数年、更新が滞っていたのですが、意外にも「SNSはやっていないけれどもブログは見ています」という方がけっこういらっしゃり、びっくりしました。

 

今年はあまり更新できませんでしたが、
これからはもう少し頑張っていきたいと思います。

 

さて、そんなわけで『ばななぼーと』の

新刊である③巻が好評発売中です。

本業が年末進行でドタバタしており、

まだあまり動けていないですが、

これからまた委託のお願いを

進めていきたいと思いますので、

今しばしお待ちください。

 

取り急ぎ、新宿のビデオマーケットさんで

委託開始しております。

 

順次、Twitterなどで告知してまいりますので

よろしくお願いします。

 

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さて、このまま終わっても良かったのですが、
事務的な連絡だけで記事を終えるのも
なんかもったいなかったので、小日記を追記。

 

文学フリマ東京の翌週、

まさかの出張でまた東京に行ってまいりました。

 

出張が終わり、帰る前に少しだけ時間があったので、

かつて住んでいた西武池袋線

椎名町駅の近辺を散策しました。

 

 

懐かしい場所はたくさんあったのですが、
無くなっていて残念だった場所も同じくらいありました。
駅が新しくなったので、それに合わせて

再開発も盛んに進んでいるようです。

 

そんな中、駅前の立ち食い蕎麦の「南天」は
変わらない店構えで、変わらない賑わいを見せていました。

 

11:00とまだ早い時間だったので、
そこまでお腹もすいていないかなぁなんて思いながらも、
いざ、食べてみるとあっという間に無くなりました。

やっぱり美味かったです。

 

お金を出せばいくらでも

美味しいものが食べられる東京ですが、
450円で充分すぎる満足度を味わえる

こういう場所があるのもまた東京だなぁと。

そんな師走の今日この頃です。