ばななぼーと

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資格だけ取って何者にもなれなかった自分がいた話

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 資格を取れば役に立つ、そう思い込まされて教育され、実際にそう思っていた時期もあったのですが、27年も生きてきたのにもかかわらず、正直役に立ったと実感できることは殆どなかったと思います。

 と、いうのも、試験が終わった瞬間にその努力していた対象に対して興味を無くしてしまい、それを役立てようというところまで至らないからだと思います。「資格がとれたんだから、もう十分頑張ったよね」と、勝手に自分の中で完結してしまいがちだったなとつくづく反省させられます。

 

 参考までに、これまで取得した資格を思いつく限り挙げてみます。

 

漢検 準2級

■英検 3級

■剣道 二段

 

 いずれも中学生の時に取得したものです。剣道に至っては真面目にやっていたのは小学生の頃だけで、中学生になってからは資格を取るためだけの型の稽古だけ参加していました。

 思えば、この頃は高校入試の時にアピールになるかもしれないと思っていたのですが、別に推薦入試を受けるわけでもなかったので大して役立つことはありませんでした…

 

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普通自動車免許

■知的財産管理技能士 3級

なまはげ伝道師免許

 

 この3つはいずれも大学生の時に取りました。

 自動車免許は「なんとなく周りもみんな取っていたので」というしょうもない理由に加え、いい年して実家に懇願し、教習の金を工面してもらうというかなり消極的に取得した資格でした。しかも、友人と一緒に山形で免許合宿に参加したものの、ちょうど東日本大震災が起き、数日間停電が続いたり、ガソリンが教習所に届かなかったりと、免許取ってるどころの騒ぎじゃなくなってしまい、実習がかなりハイペースで詰め込まれ、知識があやふやなまま教習所を卒業させられたので、免許は取ったものの、「あの時ドタバタしていて、どこか覚えていない技術があるんじゃないだろうか…」という不安を抱えてしまい、結局ロクに運転できていないです。

 知的財産管理技能士3級は将来、コンテンツビジネスにかかわる仕事をしてみたいと思った時期があり、試験日1週間前に詰め込みで勉強し、受かったものの、受かったとたんに興味をなくし、2級を取得することはありませんでしたし、コンテンツビジネスに携わることもありませんでした。一応、国家資格です。

 なまはげ伝道師は大学で宗教学や民俗学を勉強しているうちに、故郷・秋田の代表的な民間信仰である「なまはげ」に関心を持つようになり、試験を受けて取りました。しかし、ぶっちゃけ、なまはげ行事を行っているのは秋田県の中でも限られたごく一部で、秋田に住んでいた頃はほとんどその由来について知りませんでした。ちなみにこの資格を持っていても、「なまはげになれる」わけではなく、「なまはげを伝道できる」だけというかなり微妙な資格です。

 

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■中学校教員専修免許(社会)

■中学校教員普通免許(宗教)

■高等学校教員普通免許(地歴)

■高等学校教員免許(公民)

■高等学校教員免許(宗教)

 

 教員免許もたくさん取りました。文学部で宗教学を専攻していたので、社会の免許に加え、宗教の免許という超マイナーな免許も取得することが出来ました。これを持っていると仏教系の学校でいう仏教史の授業や、ミッションスクールでの聖書の授業ができるのですが、そういう学校の教員は往々にして篤い信仰を持った教師しか採用していないので、宗教学を専攻していただけで、別になにかの宗教を信じているわけではない僕のような人間が教師として雇われることは無いので、これぞまさに無駄資格と言えると思います。

 ちなみに、教育実習先の母校は普通の公立高校で、もちろん宗教の授業などなく、公民の倫理で実習を行いました。授業をするのは楽しかったのですが、それ以外の雑務があまりに多く、本当に教育で社会に貢献するつもりがあるなら、まずはその制度を見直すように社会に呼び掛けることの方が先決だな!なんて偉そうな言い訳を並べ、結局、教育の道に進むことはありませんでしたし、制度を変えようと政治の道に進むこともありませんでした。

 

■宗教文化士

修士号(文学)

 宗教文化士はある意味レア資格ですね。國学院大学や関西大学あたりの教授たちが中心となって運営している宗教文化教育推進センターというところが行っている資格試験で、宗教学専攻の学生であれば、学部2年生から受験可能です。

 持っているとかなりディープな宗教ニュースのメルマガが送られてきたり、会合や講演会の案内も来ます。一応、宗教学専攻で修士まで出たので、取得したことでその記念にはなったかなと思いますが、今のところ特に役立ってはいません。

 あと、修士号ですが、これはかなりお情けでいただいたというのが本当のところです。大学を4年で出てしまうことに今一つ納得がいかず、卒論の提出と面接だけでは入れる母校の大学院にそのまま進学しました。しかし、入学してからは自分の力量のなさに何度も中退しようと思い、研究者になろうという気持ちは全く持てず、モラトリアムの延長でその門をたたいたことを何度も後悔しました。しかし、行き詰まりまくっていたM2の春に指導教授が変わり、よい先生に出会えたことで、なんとか論文を形にできました。人生においてはいい経験となりましたが、就職活動をしている時は、正直、文系の、しかも、宗教学の修士というのはただ怪しいだけの肩書だったんじゃないかと思います。あと、このブログの文章力を見ていただけるとわかるかと思いますが、地頭が悪いので、お前本当に修士出たのかよというツッコミも多々あります。ちなみに、今はただの会社員です。

 

■国内旅行業務取扱管理者

 

 一番最近取った資格です。旅行業者でもないのに、色々あって上司に「取れ」と言われ、かなり低いモチベーションで受験したところ、2回も落ち、今年ようやく受かりました。JRの運賃の計算や、都道府県の名所を覚えるのは楽しかったですが、全く興味が無いうえに身近ではない旅行業法の問題が苦痛でした。

 

 

 以上です。あらためて振り返ってみると色々資格を持っているんだなと実感しますが、直接的に役立っているのは最後に挙げた国内旅行業務取扱管理者ぐらいで、あとは結局なんだったのだろうかと思うものが大半です。結局のところ、自分は不安症で、資格や肩書が無いと、世の中勝負にならないんじゃないかという思いが長いことあったのではないかと思います。ただ、こういう風に、資格を書き並べること自体は楽しいと思ってしまう自分がいることは確かですし、自尊心を保つためにやってきたのだなと思います。我ながら小さい人間ですね…

 あと、求められてもいないのに取る資格は、取るからには役立てる方策を考えておくべきだなと思いました。求められているのでなければ、別に肩書なんてあってもなくても、その技術や知識があればいいわけで、目的がすり替わってしまわないようにするべきだな、と。何事も備えるためではなく、使うために学ぼうとあらためて思った今日この頃です。