ばななぼーと

レンタル&中古VHSとネットラジオを愛するゆとり社会人のブログ

3月11日のこと。

早起きしたのでなんとなく書いてみます。


当時は大学2年から3年へとなろうという春休みでした。


震災が起きた時、僕は友人と合宿で訪れた山形の自動車教習所で座学を受けていました。


かなり大きい揺れで、心配性の僕は真っ先に机の下に入ったものの、50人はいる教室でそうしたのは10人ほどでした。


それだけの揺れでも、意外とみんな周りがやっていないと避難しないようで、教習所の教官も半分苦笑いで「なんだなんだ」と言っていたのを覚えています。(もちろん、慌てないこともまた大切だとは思うのですが)


秋田に住む実家の家族には連絡がつき、わりとすぐに無事は確認できたものの、15:00頃には停電しました。


mixiTwitterで友人に無事を伝えながら、情報を集めていたものの、元々そんなになかった携帯の充電も20%となったので、いざという時に備えて電源を切っておくことに。


結局、その日はもう宿に帰ることになり、教習所の送迎バスに乗りました。


道路の信号も停電し、授業で習ったばかりの「非常時には手旗信号で対応します。」というのを目の当たりにしました。


途中に立ち寄ったコンビニでは早速商品がなくなっており、情報が少ない中でどんどん不安に。


しかも、向かっている宿は山形の中でも山の方の温泉地。いざという時にも、翌日の送迎バスが来るまでは自力で逃げることは不可能。


そんな不安の中、帰ってきた宿ではありましたが、温泉のお湯がまだ温かいうちにかけ湯で洗いなと言われ、風呂に入りました。


まだ余震が続くなか、言われるがままに素っ裸になり風呂へ。こんなことしてる場合なんだろうかと思いつつも、結局、この後2日は風呂に入れなかったので、入っておいて正解でした。


風呂を上がると、宿の人が宴会用のカセットコンロでうどんを作ってくれました。心の底からありがたかったです。


泊まっていたのは4人部屋でしたが、ちょうどその日の朝に相部屋だった1人が帰っていたので僕と友人達の3人だけの部屋でした。


人間、あまりにも不安になるとその裏返しなのか、それまでに無いほど馬鹿話に花が咲きました。あれほど饒舌なったのは、やはり今思い返してみるとおかしなものだなぁと。


余震も続いており、気にし始めたらいつまでも不安なので、不思議と、次から次へと馬鹿なことを思いつき、気づいたら静かな暗闇の中で真剣にけん玉をやっている男が3人、という奇妙な光景がそこにありました。


その後も停電し続けたり、教習が続いたり、途中で教習をやめて山形を後にする奴が出始めたり、ガソリンが手に入らなかったり、と、まだまだ書くべきことはたくさんあるのですが、とりあえず、思い出した限りの2011年3月11日。